ここのところ毎日、澄み切った青空。あの大雨が嘘のようだ。


青空


先週の日曜日(17日)加計でお昼頃、台所で食器を洗ってた。

つけっ放しにしていたテレビがニュースを伝え、それを背中越しに聞いていた。


前日深夜、九州から車で加計まで送っていただきそのまま泊まり

台風が来る前の備えを家族でしていたのだ。


テレビで16日台風接近していた九州より、広島市安佐北区の大雨の

凄さを知った。(九州へ広島から電話いただいた何人の方から

広島はずっと雨とは聞いていたが、夜そんなに激しくなるとは)


寸断された道路の映像に唖然とする。


そうしたら、消防団の方が亡くなられたことを知り

続いて、中国新聞安佐北支局の27歳の記者が行方不明と

伝え仰天した。「嘘でしょう!!」と思わず声を上げてしまった。


この段階でまだ名前を伝えていなかったが、間違いなく

松田記者と思った。


先月久し振りにお会いしたばかりだった。


3年くらい前か、中国新聞の加計支局に初めて来られたときに

紹介されてそれから、加計支局はなくなりつまり常駐ではなくなり

加計ステーションとして、可部の安佐北支局から

時々通っておられるようだった。


担当記事も、広島市安佐北区、山県郡(安芸太田町、北広島市)と

幅広く、時々署名入り原稿を見ては感心していた。


初めて紹介された時、「警察周りしてたんですよ。」の言葉が意外な気がした。


若くて、線が細くて、控えめな真面目な印象だった。


あれからいろんなところで、お会いし

いつもカメラを片手に、ひとり真剣な表情だった。


去年、私が空き店舗を利用して地域の皆さんと

どんでん市場を始めることになったとき

お知らせメールをしたら、カメラを片手に

するりとお店にこられた。


「近くで取材があったから、寄ってみました。」


なんて律儀な。感動しながらも

「まだどうなるかわからないし、定着したら

いつか取材してくださいね。ただ始まりは

知っておいて欲しかったんです。」と

言ったら、いいことですねーと笑いながら

「僕も古い本出そうかなぁ」とおっしゃった。


そうそう松田さんも出品してくださいよーなんて

いいながら。趣味は何?休日は何してるの?

など余計なお世話な質問を矢継ぎ早にしたら

「ひとりでプール行ったり、友達いないし・・」

のようなことを言われ慌てて

じゃあ、一緒にどんでん仲間になろうよ~!なんて

調子いいこと言ってたけどどんでん市場もなくなり

そのままお会いすることもなかった。


そうしたら、先月8月5日の土曜日に偶然というか

ある会に参加したら、松田記者がいらしてた。


わぁ~久し振りですねぇと隣同士の席で。


お会いしてはいなかったけど、最近署名入りの記事なので

松田記者の記事は殆どチェックしていたので

その感想など述べたりして、

「ちゅーぴークラブにも入ったよん」とか

「加計支局なくなって、紙面も芸北版なくなって淋しいよー」とか

好きなこと言って困らせたかも。

それには、「広島圏版もあるし、交流のページもあるんですよー」と

誠実に答えてくださった。


久し振りに会った私に

「なんか感じ変わりましたね。よくなっちゃったです。」なんて珍しく

褒めてくださり、まぁ気を使って、大人になられたのねー。

無精ひげも生えてなんだか男くさくなった。ワイルドね!!なんて

お返ししたり!?


「どんな記者になりたいの?」と聞いてみたら

「整理部も面白いかなと思って。記者が書いた記事に見出しをつけたり

レイアウトするんです」と答えられ、驚いた。

スクープとりたいとかじゃないんだーって。


そろそろ異動かな、そうなると淋しいけど応援し続けようと思っていた。


前から気になってた支局長の名前を紙面でみることないので

聞いてみたらやめられたとのこと。(他の新聞社に行かれたそう。)


だったら、まだ当分の間、いまの支局かな。と勝手に思ってた。


その会の時、食事も共にしたのですが、彼は一滴もアルコールを

口にしないで(乾杯さえも)、帰り車で送っていただくことにした。


もう夜も更けていた。


「汚い車ですが・・・」なんて慌てて、ジュースの瓶など片付けて

「そんなことないです。」と言いながら、若者の車だなーと実感。

申し訳なかったけど、なんだか話が弾んで楽しいひとときだった。


加計の家の前で、「今度は家に遊びに来てね!」と手を振ると

今まで見たことないぐらい、すごくいい笑顔だった。

今でも目に焼きついている。


いつもは、私が話すと「そうですか。」と眼鏡の奥の目が鋭く光り

顎に手を当てて、うんうんと真剣に聞いてくださった。


まちづくりのことなどで、一生懸命伝えたいことが

山ほどあった以前の私。きっとギラギラしてうるさいオバちゃんだったろうな。


こないだは、もっと肩の力を抜いて喋ったような。


今こうして、書き続けているのは

まだ松田記者が行方不明で

毎日、毎日祈るような気持ちで落ち着かないから。


仕事中や人と会ってる時は大丈夫なんだけど

一人になると涙が止まらない。(今もそう。書くことによって

落ちつかそうとしてるのか。)


もっともっと近い方が多くいらっしゃるし

その方々のお気持ちを察すると辛くてたまらない。


そして、何より松田記者が一番悔しいと思う。


ニュースで初めて知ったとき、携帯に電話した。

電波が届かないではなく、留守番メッセージだった。


あれから、ビクビクしながら、ニュースや新聞を見ている。

(新聞の記事、見なくなった。この地域ネタは松田記者が

担当のはずと思ってしまうから。)


連日多くの方が捜索されてる。


あの夜、私は、戸河内の方の運転で九州から山口に入り

信じられない豪雨に驚き、実は本当に怖い思いをした。

何故台風が接近している九州より中国地方の方が

豪雨なのかわからないまま。


とにかく運転してくださっている方に命を預け

川のように水浸しになった高速を、祈りながら

トンネルに入る度ほっとしながら、前が見えない

恐怖に時折雷が光り、「高速から降りてください」と

無茶なお願いをしたら「下のほうがもっと危険なんだよ」と

諭され、やっと戸河内インターへ到着し、加計の家まで

送っていただいたのだ。

途中、深夜にもかかわらず、集会所で何箇所か灯りがついていたので

避難されていることを知った。


以前大水害があり多くの犠牲者がでた地域だそうだ。


自然の恐ろしさを初めて実感した。


16日夜、同じように、いやもっともっと怖い思いをされた

松田記者のことを思うと、毎日、辛くてたまらない。


どこかへ、逃げて無事でいて欲しいとずっとずっと

祈り続けている。。。